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2023/11/20ブログ

小さき舟に乗りて西の方をさして漕ぎゆく・・・

源氏物語ですが、細々と読み進め、「篝火」、「野分」、「行幸」、「藤袴」、「真木柱」、「藤枝」、「藤裏葉」、「若菜(上)」、「若菜(下)」、「柏木」、「横笛」、「鈴虫」、「夕霧」、「御法」、「幻」ときて、今は「匂宮」の途中です。「匂宮」以降は、いよいよ源氏が死去した後の物語です。
「御法」で紫上が死去し、「幻」でそれを悲しむ源氏の様子が描かれます。「幻」の巻は年初から始まってその次の年の年初で終わっており、1年間の各時期における源氏の喪失感が描かれます。
このように、今回取り上げた各巻は、源氏を主人公とする部分が終息に向かっていく局面が扱われており、長らく登場してきた人物の死去するなど、悲しい場面が多いといえます。

その中でも、上記の紫上の死去の場面とともに印象に残ったのは、「若菜(上)」の明石の入道の退場の場面でした。
明石の入道は、明石の上の父で、明石の上が明石の女御の実母、明石の女御が東宮の母ですから、東宮の曽祖父ということになります。
明石の入道が明石の上が生まれる前に見た、「自ら須弥の山を右の手に捧げたり、山の左右より月日の光さやかにさし出でて世を照らす、自らは山の下の蔭に隠れてその光にあたらず、山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて西の方をさして漕ぎゆく」【訳:わたし自身が須弥山を右の手に捧げていました。その山の左右から、月日の光が明るくさし出て世を照らしています。わたし自身はその山の下の蔭に隠れて、その光には当たりません。山を広い海に浮かべておき、わたしは小さい舟に乗って西の方をさして漕いでいく】(正訳 源氏物語 第6冊 122~123頁)という夢が始まりで、明石の上を大事に養育していたところ、源氏が須磨にきた際に明石の上と源氏が男女の仲になり、そこから一族に運が向いてきます。上記の引用部分でも、明石の入道自身には光が当たっていないことから、自らの栄達ではなく子孫の栄達に懸けたということなのでしょう。


明石の入道は、東宮が誕生したのを伝え聞いた後、離れた京にいる妻の明石の尼君と明石の上に手紙を送り、その3日後に、人跡も絶えた峰に移ってしまいます。
明石の上への手紙には、「命終らむ月日も更にな知ろしめそ。いにしへより人の染めおきける藤衣にも何かやつれたまふ。ただわが身は変化のものと思しなして、老法師のためには功徳をつくりたまへ。」【訳:わたしの命が終わる月日を決して知ろうとなさいますな。昔から人が染めおいた喪服に何も身をおやつしになることはありません。ただあなたがご自分は変化の身だとお考えになって、この老法師のために功徳をおつくり下さい。】(同124頁)などと書いてあり、明石の尼君への手紙には、「この月の十四日になむ草の庵まかり離れて深き山に入りはべりぬる。効なき身をば熊狼にも施しはべりなむ。」【訳:この月の十四日に草庵を離れて深い山に入りました。生きながらえてかいのない身を、熊や狼にでも施してやりましょう。】(同125頁)などと書いてあります。

明石の入道は、大臣の家に生まれるが都での出世を断念し志願して播磨の守になって、一人娘の明石の上が自家の繁栄をもたらすという夢を信じる頑固一徹な老人です。その願いはうまくいきましたし、明石の上も入道の方針に特に反対することも強い違和感を抱くこともなく、その才知と謙虚さで都でもうまく振る舞いました。ただ、親の願いを子に託すということが必ずしも子に幸せをもたらすとも限らないので、この話を一般化することはなかなか難しいところだとも思いますが・・・

いずれにせよ、明石の入道は、その妻と娘に手紙だけを送って、いつ死んだのか、どのように死んだのかもわからないまま物語から姿を消します。この退場場面にも、入道の娘への強い愛情と頑固一徹さが現れていて、異彩を放っていると思います。
(松井 和弘)

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