2025/02/11ブログ
大君
源氏物語ですが、「紅梅」、「竹河」、「橋姫」、「椎本」、「総角」、「早蕨」、「宿木」、「東屋」、「浮舟」、「蜻蛉」、「手習」、「夢浮橋」ときて、昨年の夏に、ようやく読み終わりました。昔に訳文を読んだときには、宇治十帖は源氏が亡くなった後のおまけみたいなイメージだったのですが、今回、曲がりなりにも原文を読んでみて、宇治十帖の舞台設定の巧みさや情感に感じ入りました。
宇治十帖は、単純化していえば薫にとっては失恋物語で、薫の報われなさに同情する読者は多いと思いますし、私もその例に漏れません。以下では、薫の大君との関係の帰結を見ていきたいと思います。
薫は、八の宮の姫宮である大君に対しては、当初から思いを寄せてきましたが、大君はその妹宮の中君の縁談を優先させて、薫に対しては色よい返事をしません。そのうち、大君は重篤な病にかかって臥せてしまいます。
それを耳にして駆けつけた薫が「『何の罪なる御心地にか。人の嘆き負ふこそかくはあむなれ』と、御耳にさし当てて、ものを多く聞こえたまへば、うるさうも恥づかしうもおぼえて、顔をふたぎたまへり。」【訳:「どんな罪のご病気でしょうか。あまり人を嘆かせるとこうなるのだそうですよ。」と、お耳もとにお口を当てていろいろと申し上げますので、姫宮は煩わしくも恥ずかしくもお思いになって、お顔を覆っていらっしゃいます。】(正訳 源氏物語 第8冊 379頁)というわけで、大君は、袖で顔を隠すわけですが、「直面にはあらねど、這ひよりつつ見たてまつりたまへば、いと苦しく恥づかしけれど、かかるべき契りこそはありけめと思して、(中略)むなしくなりなむ後の思ひ出にも、心ごはく、思ひ隈なからじ、とつつみたまひて、はしたなくもえおし放ちたまはず。」【訳:姫宮は、まともにお顔を合わせるわけではありませんが、中納言がお側にお寄りになってご看病なさいますので、とてもつらく恥ずかしいのですが、こうなるべき宿縁があったのだろうとお思いになって、(中略)この世を去った後の思い出にも、強情で思いやりのないようには思われまいとお気遣いなさって、中納言をそっけなく押しのけたりはなさいません。】(同388頁)とあるとおり、大君は自らが亡くなった後の薫の大君に対する思い出にまで気遣いして、冷たい態度を取らないわけです。
この、今際になってやっと御簾の中に薫を入れるが、それでも顔を覆っているという奥ゆかしさ、しかしまた冷たい態度は取らないという機微に感じ入りました。
上記はあくまで、薫と大君の間の心理描写の一部で、「総角」の帖の最後の4分の1程度にわたって、薫と大君の心の交流が描かれます。この部分は、無常で儚く美しく、今回、最も原文でも読めてよかったと感じた箇所のひとつでした。