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2022/07/07ブログ

トリスタンとイゾルデ

前回の記事で、「愛の妙薬」が「トリスタンとイゾルデ」を下敷きにしているという話をしました。

しかし、妙だと思う点がないでしょうか。「愛の妙薬」では、惚れられたい側のトリスタンが妙薬を飲むことによって、無情なイゾルデの心が優しくなったとされています。つまり、自分に惚れさせたい側が妙薬を飲んでいるのです。
妙薬が惚れ薬として人の気持ちに作用するとすると、自分ではなく恋愛対象に妙薬を飲んでもらったり、あるいは両者とも妙薬を飲むというのが自然ではないでしょうか。

この点、「トリスタンとイゾルデ」はケルトの物語に起源があるとされ、古くから様々な物語が伝わっていると思われますが、ここでは、入手しやすい訳文「トリスタン・イズー物語」(ペディエ編、佐藤輝夫訳、岩波文庫)に依って、元々の物語についてお話したいと思います。

まず、妙薬についてですが、「イズーをコーンウォールの騎士たちの手にゆだねる日が近づくと、母の妃は草や花や木の根をつみ集めてそれを葡萄酒の中にひたし、ききめの強い一種の飲料を調合した。秘法をつくし、魔術を加えてこれを醸しあげると・・・」(同書58頁)とあるとおり、葡萄酒がベースになっているんですね。この点で、ドゥルカマーラは愛の妙薬の代わりに葡萄酒をネモリーノに売りつけていますが、案外当たらずとも遠からずという気もしますね。

次に、妙薬の使い方ですが、イズーの母である妃は侍女にこう言っています。ちなみに、イズーは、マルク王と結婚することになっていました。
「婚礼の夜となって、新婚の二人をのこして人々が帰ってしまうと、お前はこの名草を醸した葡萄酒を杯にうつし、マルク王と姫とがいっしょに飲み干すようにお二人に差し上げるのです。(中略)これをいっしょに飲んだものは、身も心も一つになって、生きているあいだも、死んでの後も、永久に愛しあってはなれぬという、それほどこの飲み物のききめは大したものなのだから・・・」(同書59頁)。 つまり、元々の物語では、妙薬は二人が一緒に飲むものだったのです。

「愛の妙薬」では、ネモリーノが騙されて偽物の妙薬をつかまされるが予想外の形で事がうまく運ぶというオペラのストーリーに合わせる形で、「トリスタンとイゾルデ」の話が改変されたのでしょうかね。

さて、元々の物語では妙薬の使われ方も「愛の妙薬」とは違い、イズーをマルク王のもとに護送する船の上で、トリスタンとイズーが、妙薬だとは知らずに誤って飲んでしまうのです。
「太陽は焼きつけて、二人は渇きをおぼえたので、なにか飲み物を、と彼らは求めた。(中略)『葡萄酒が見つかりました』と侍女(※母妃から妙薬を託された侍女とは別の者)は叫んだ。いやいや、それは葡萄酒ではない、それは情熱だ、激しい喜悦だ、無限の苦痛だ、して、それは死だった!」(同書60頁)。
この、二人が誤って飲んでしまうというのも大きな違いで、イゾルデの気を惹こうとしたトリスタンが意図して妙薬を飲んだと紹介されている「愛の妙薬」とは大きく違います。そして、「愛の妙薬」ではハッピーエンドでしたが、元々の物語では、悲劇的な結末が待っていることが示されています。
そう、二人には、あの白い帆と黒い帆の話が待っているのです・・・。

以上、元々の物語と「愛の妙薬」におけるトリスタンとイゾルデの話の主要な相違点について縷々述べてきましたが、優れた物語というのは、優れた物語をうまく換骨奪胎しているのです。
そうして、私達は、妙薬を題材にした悲劇と喜劇を、あるいは文学で、あるいは歌劇で鑑賞し、泣き、また、笑うことができるというわけなのです。(松井和弘)

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