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婚姻の無効に関する話3

前回、メアリー・スチュアートがフランソワ2世の妃としてフランス王妃だったことがあるという話をしましたので、ついでに当時のフランス王家の話もしておこうと思います。

フランス王家といえば、私たちにはブルボン家のイメージが強いのですが、当時はヴァロア家が王位を継承していました。そして、フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世の順に王位が移りますが、彼らは3人とも母后カトリーヌ・ド・メディシスの息子で、彼らの治世では、母后が実質的な権力を握っていました。
カトリーヌ・ド・メディシスは有数の辣腕政治家で、シミュレーションゲーム『シヴィライゼーション6』では、フランスの指導者に選ばれました(『5』までは、ルイ14世、ナポレオン、ドゴールという面々でした。ちなみに、『6』での日本の指導者は北条時宗でした。)。

カトリーヌ・ド・メディシスの娘には、エリザベートとマルグリットがおり、エリザベートはスペイン王太子ドン・カルロスと婚約していたものの、結局その父親のフェリペ2世に求婚されて結婚することになります。この件を題材にしたのがヴェルディ作曲のオペラ『ドン・カルロス』です(原作はシラーの戯曲)。

さて、この当時、フランスでは、カトリックとプロテスタント(ユグノー)の間で数十年にわたって断続的に戦争が続いていました(ユグノー戦争)。
そこで、母后カトリーヌ・ド・メディシス(カトリック)の提案によって、カトリックとプロテスタントの融和のためにナヴァラ王アンリ(プロテスタント)と母后の娘マルグリット(愛称マルゴ)が結婚しました。この結婚を祝うため、プロテスタントの有力者が多数パリに集まりました。
しかし、これが実は母后の罠で、カトリック側は、パリに集まったプロテスタントを大量虐殺し、ナヴァラ王アンリを捕えます。これが、悪名高いサン・バルテルミの虐殺(1572年8月24日)です。

その後、アンリ3世の死により、ヴァロア家は王位継承権を失い、ナヴァラ王アンリがフランス国王アンリ4世として即位、ナント勅令を発してカトリックとプロテスタントの融和を図ります。アンリ4世から、私たちにもお馴染みのブルボン朝が始まり、フランス革命での中断を経て1830年まで続きます。

アンリ4世と王妃マルゴの婚姻関係は二十数年続きますが、後に婚姻の無効により、婚姻関係は解消されます。
アンリ4世はマリ―・ド・メディシスと結婚し、その息子がルイ13世となりました。

ここらへんの話は、最近まで連載されていた萩尾望都(『11人いる!』の作者)の『王妃マルゴ』に興味深くかつ上手に纏められています。8巻で完結していますし、スピーディーな展開で読みやすかったです。こういうふうに、うまくまとめて終わらせる能力は、さすがというところです。何年か前に『ハンター×ハンター』にも、「11人いる!」という念能力を使う者が登場しましたが、こちらの方は、そもそも完結するのかすら明らかではありません・・・(松井和弘)
2020年05月24日

婚姻の無効に関する話2

前回取り上げたメアリー・スチュアートは、スコットランドの王女として生まれた直後にスコットランド女王となり、その後イングランドで刑死します。そのため、グレートブリテン島のイメージが強いですが、フランス王妃(フランソワ2世の妃)だったこともありました。しかし、不幸にもフランソワ2世は即位から1年余りで死亡します。

そのため、スコットランドに帰国した彼女でしたが、スコットランドでの激しい政争を乗り切ることができず、結局、スコットランド女王を廃位されてしまい、エリザベス1世の治めるイングランドに亡命します。
しかし、メアリー・スチュアートがイングランドの王位を主張し得る立場にあったことが災いし、彼女は、エリザベス1世と常に政治的な緊張関係に置かれます。そして、反乱を企てたとして、フォザリンゲイ城で処刑されてしまいます。

前回、オペラ『マリア・ステュアルダ』を取り上げましたが、1幕最後のクライマックスが、フォザリンゲイ城でのメアリー・スチュアートとエリザベス1世の対決シーンです。その中で、メアリーがエリザベスに対して、エリザベスが正式な婚姻の下で生まれたのではない、と叫び、エリザベスが激怒するシーンがあります。
どういう論理でそうなるのかしばらくよくわからなかったのですが、カトリックであるメアリーの立場からすれば、①ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンとの間の婚姻は、ローマ教皇の許可を得られていないので無効になっていない、②そうすると、その後のヘンリー8世とアン・ブーリンの結婚は重婚になって無効である。③そうすると、その間の子であるエリザベスは正式な婚姻のもとで生まれた子ではない、王位継承権は無いという意味だろうと理解されます。(現代日本の価値観や法体系とあまりに異なることもあり、私はメアリー・スチュアートのこの主張には共感できないことを申し上げておきます。)

このロジックに気づいたとき、ああ、そういうことか、と思って謎が解けたような気持ちになりましたが、普段の生活や仕事に特に役立つことはありませんでした。しかも、オペラ『マリア・ステュアルダ』は、ドイツの詩人シラーの戯曲が原作なのですが、フォザリンゲイ城でのメアリー・スチュアートとエリザベス1世の対決はシラーの創作ですので、歴史的な事実を深く理解できたということにもなりませんでした。

ちなみに、私が初めてメアリー・スチュアートのことを知ったのは、荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』の第1部を読んだときでした。ジョナサン・ジョースターと戦うタルカスとブラフォードが、メアリー・スチュアートの忠臣だったという設定でした。ブラフォードの「LUCK&PLUCK」、かっこよかったですね。(松井和弘)
2020年05月22日

婚姻の無効に関する話1

前回、婚姻の無効を巡って歴史上、様々なドラマが生まれたと書きましたが、そのうち、政治的・社会的に最もインパクトがあったのは、ヘンリー8世のケースでしょう。

16世紀前半のイングランド王であるヘンリー8世は、最初はキャサリン・オブ・アラゴンと結婚しており、彼女との間に王女メアリー(後の女王メアリー1世)が生まれました。
諸般の事情があって、キャサリンとの間の婚姻を無効にしたいと考えたヘンリー8世は、ローマ教皇に許可を求めますが、キャサリンは、当時最も影響力のあった君主カール5世(スペイン王国と神聖ローマ帝国の支配者)の叔母でした。そうしたこともあって、ローマ教皇は婚姻の無効の許可を出しませんでした。(ややこしいので説明を省きますが、教会法上、ヘンリー8世とキャサリンとの間の婚姻の無効は通常の場合よりもハードルが高いという事情もありました。)

そこで、ヘンリー8世は、イングランドの教会をカトリック教会から離脱させ、英国国教会を創設し、自らその長となります。そうすることによって、ローマ教皇の許可を得ることなく婚姻を無効にすることができるようになったわけです。
そして、ヘンリー8世は、キャサリン・オブ・アラゴンとの婚姻を無効とした後、アン・ブーリンと結婚をし、彼女との間に王女エリザベス(後の女王エリザベス1世)が生まれます。しかし、その後、アン・ブーリンはヘンリー8世により処刑されてしまいます。この処刑は、えん罪によるものだと言われています。ちなみに、ヘンリー8世はその後4回結婚します。

アン・ブーリンの処刑を扱ったオペラが、19世紀前半のオペラ作曲家ドニゼッティの『アンナ・ボレーナ』です。
ドニゼッティは、メアリー・スチュアートの処刑を扱った『マリア・ステュアルダ』、エリザベス1世を扱った『ロベルト・デヴェリュー』も作曲しており、これらの3つの作品を、当時の王朝の名前を取ってテューダー朝三部作、または女王三部作と言います。

私は、これらの3つの作品の中では(というよりもドニゼッティの全作品の中でも)、『マリア・ステュアルダ』が最も好きで、最初に観たときには衝撃を受けました。(松井和弘)
2020年05月20日

離婚と婚姻の無効

今年の2月から当事務所に入所しました弁護士の松井和弘です。
今月のブログ担当は私が務めさせていただきます。よろしくお願い致します。

ご相談やご依頼いただく際には、このブログの内容を踏まえていただく必要は一切ございませんので、気軽にお読みいただければと存じます。

さて、私たち弁護士は、離婚事件を担当させていただくことが多々ありますが、民法には、「婚姻の無効」(民法742条)も定められています。
離婚は、有効に成立した婚姻関係を解消することであるのに対して、婚姻の無効は、そもそも婚姻関係が無効ということになります。
民法では、婚姻の無効は、人違いなどによって当事者間に婚姻の意思が無いときに限って認められます。

現在の日本では、離婚の果たす役割の方が、婚姻の無効よりもはるかに大きいのですが、中世から近世のヨーロッパを扱った本を読んでいますと、婚姻の無効の果たす役割の大きさに驚かされることがあります。
当時、ヨーロッパでは、キリスト教の強い影響のもと、離婚が認められていませんでした。ところが、やはり、結婚は人間と人間との間のことですから、婚姻関係を解消したい場合も出てくるわけです。
そこで、有効な婚姻関係を解消するのではなく、婚姻関係が最初から無効であったとする婚姻の無効が使われることになりました。ただし、婚姻の無効が認められるためには(カトリックの場合は)ローマ教皇の許可が必要でした。このローマ教皇の許可を巡って、歴史上、様々なドラマが生まれました。(松井和弘)
2020年05月17日