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2020/05/24ブログ

婚姻の無効に関する話3

前回、メアリー・スチュアートがフランソワ2世の妃としてフランス王妃だったことがあるという話をしましたので、ついでに当時のフランス王家の話もしておこうと思います。

フランス王家といえば、私たちにはブルボン家のイメージが強いのですが、当時はヴァロア家が王位を継承していました。そして、フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世の順に王位が移りますが、彼らは3人とも母后カトリーヌ・ド・メディシスの息子で、彼らの治世では、母后が実質的な権力を握っていました。
カトリーヌ・ド・メディシスは有数の辣腕政治家で、シミュレーションゲーム『シヴィライゼーション6』では、フランスの指導者に選ばれました(『5』までは、ルイ14世、ナポレオン、ドゴールという面々でした。ちなみに、『6』での日本の指導者は北条時宗でした。)。

カトリーヌ・ド・メディシスの娘には、エリザベートとマルグリットがおり、エリザベートはスペイン王太子ドン・カルロスと婚約していたものの、結局その父親のフェリペ2世に求婚されて結婚することになります。この件を題材にしたのがヴェルディ作曲のオペラ『ドン・カルロス』です(原作はシラーの戯曲)。

さて、この当時、フランスでは、カトリックとプロテスタント(ユグノー)の間で数十年にわたって断続的に戦争が続いていました(ユグノー戦争)。
そこで、母后カトリーヌ・ド・メディシス(カトリック)の提案によって、カトリックとプロテスタントの融和のためにナヴァラ王アンリ(プロテスタント)と母后の娘マルグリット(愛称マルゴ)が結婚しました。この結婚を祝うため、プロテスタントの有力者が多数パリに集まりました。
しかし、これが実は母后の罠で、カトリック側は、パリに集まったプロテスタントを大量虐殺し、ナヴァラ王アンリを捕えます。これが、悪名高いサン・バルテルミの虐殺(1572年8月24日)です。

その後、アンリ3世の死により、ヴァロア家は王位継承権を失い、ナヴァラ王アンリがフランス国王アンリ4世として即位、ナント勅令を発してカトリックとプロテスタントの融和を図ります。アンリ4世から、私たちにもお馴染みのブルボン朝が始まり、フランス革命での中断を経て1830年まで続きます。

アンリ4世と王妃マルゴの婚姻関係は二十数年続きますが、後に婚姻の無効により、婚姻関係は解消されます。
アンリ4世はマリ―・ド・メディシスと結婚し、その息子がルイ13世となりました。

ここらへんの話は、最近まで連載されていた萩尾望都(『11人いる!』の作者)の『王妃マルゴ』に興味深くかつ上手に纏められています。8巻で完結していますし、スピーディーな展開で読みやすかったです。こういうふうに、うまくまとめて終わらせる能力は、さすがというところです。何年か前に『ハンター×ハンター』にも、「11人いる!」という念能力を使う者が登場しましたが、こちらの方は、そもそも完結するのかすら明らかではありません・・・(松井和弘)

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