2020/11/09ブログ
「平和喪失」について
前回の記事で「平和喪失」がゲルマン法的要素が強いと記載しました。そこで、ゲルマン法における「平和喪失」の位置づけについて触れておきたいと思います。
ゲルマン社会についての最も古くかつ信頼できる文献は、紀元1世紀のローマ帝国の歴史家タキトゥスの「ゲルマーニア」ですが、同書には、「父または血縁のものが含んでいた〔さまざまの〕仇敵関係は、〔さまざまの〕交友関係と共に、〔後継者は〕引き継がなくてはならない。しかし、おさまりがつかないまま、いつまでも続くのではない。殺人でさえ、牛又は羊の〔それぞれについて定められた〕一定の数によって償われ、被害者の全一族はこの賠償を満足して受納するからである。」(タキトゥス著、泉井久之助訳註、岩波文庫「ゲルマーニア」100頁)とあります。
このように、殺人等が行われた際には、被害者の親族が加害者が組織的な復讐を行うことになります(この組織的な復讐のことを「フェーデ」といいます)。その一方で、贖罪金(上記では「牛又は羊」)による和解も可能で、贖罪金が支払われればその件は解決されました。
現在の法体系では賠償金が支払われても刑事責任が残るのとは違い、原初のゲルマン法においては刑事責任と民事責任が未分化であったといえます。
贖罪金は高額であり和解は安易な方法ではなかったものの、フェーデは当事者の意向にほぼ完全に委ねられており(ミネルヴァ書房「概説西洋法制史」48頁参照)、このような解決法が原則でした。
ところが、例外的に、上記のような解決法が取られない場合もあります。公的に科罰の対象となる重大事件(「アハト事件」といいます)を犯した者に対する処分です。アハト事件を起こした者は平和喪失者となり、親族や家の保護(平和)を失うことになりました。親族が平和喪失者を守り、かくまうことが禁止されたのです。
「アハト事件」は「人民や国家自体の法益が侵害された場合」と「破廉恥罪の場合」からなり、前者の例は宗教上の犯罪や大逆罪、後者の例は夜間の犯罪や強姦とされます(同書48頁参照)。前回の記事での平和喪失処分は、クヌート大王に対する反逆に起因するもので、前者の類型に含まれるように思えます。
私が「平和喪失」について興味深いと思うのは、公的に科罰の対象となる重大事件についての処理が、現在の法制度からは異質である一方、当時のゲルマン社会の実情に適合した仕組みであるように思えるからです。
つまり、当時のゲルマン社会では現在とは異なり国家や社会が十分な刑罰執行権を持っていませんでしたので、現代社会のように加害者に刑事罰を科すことはできません。
そこで、国家や社会はアハト事件について加害者を平和喪失状態にし、加害者親族の保護を排除することによって孤立させ共同体から追放したのです。平和喪失状態にある加害者が危害を加えられても、加害者親族はフェーデを行うことはできません。親族の結びつきが強く親族の保護が重要な当時のゲルマン社会においては、平和喪失状態になると極めて困難な立場に追い込まれることになったのです。(松井 和弘)