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いづれの御時にか・・・

「パルムの僧院」を読み終わった後、久しぶりに「赤と黒」も読もうかなあと思っていたところ、たまたま、「正訳 源氏物語 本文対照」(中野幸一著、勉誠出版)を見つけました。

源氏物語に関しては、20年以上も前に「新源氏物語」(田辺聖子著、新潮社)を読んで以来、「輝く日の宮」(丸谷才一著、講談社)を読んだくらいだったのですが、やはり一度は原文で読んでおきたいという気持ちがありました。というのも、今まで、与謝野晶子や谷崎潤一郎などの名だたる大作家が源氏物語を訳してきましたが、作家の訳文というのは、自分の解釈を盛り込んで原文から離れた訳をしてしまうことがあり、訳文のみを読むだけだと、原文にどんなことが書いてあったか確証を持ちながら読むことはできないのです。しかし、当然のことながら、高校で古文の授業を受けて以来全く古文に接していない私があの長大な話を原文で読むのは、誤って文意を解釈してしまうことが目に見えているという意味でも、時間的な意味でも、できるわけがないので諦めていました。

そうしたなか、本書は、頁の中段に訳文が載っており、頁の下段にそれに対応する箇所の原文が載っている(上段には注釈が載っている)という我が意を得たりという構成なのです。これなら、原文を読んでから訳文を読むことにより、原文を味わいながら訳文により正しい意味を理解することができるわけです。
冒頭箇所の「いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひける中に・・・」を読んだ際には、やはり、これからまた源氏の世界に入っていくんだなあ・・・と感慨深かったです。
どうやって読もうかと考えたのですが、折角原文と訳文が両方載っているんで、やはりまず原文を読んで、わからない単語は古語辞典を引いて、自分なりに原文を解釈してから訳文を読むようにしました。電車の中で読むことが多いので、昔だったら辞書を引きながら電車の中で本を読むのは難しかったのですが、今はスマートフォンでダウンロードした古語辞典を引くのは簡単な操作ででき、いい時代になったものです。

やはり原文を読むのはいいもので、例えば、今読んでいるあたりだと、源氏が夕顔を牛車で連れ出す場面が、「いさよふ月にゆくりなくあくがれむことを、女は思ひやすらひ、とかくのたまふほど、にはかに雲がくれて、明けゆく空いとをかし。」(「正訳 源氏物語」第1巻187頁)と描写されているのですが、沈みかねている月のもと源氏と夕顔がいろいろ話をしているところで、急に月が雲に隠れるとともに夜が明けていくわけで、それはもう美しい風景だろう、情趣があると書かれているのもわかるなあ、と感じた次第です。

読む時間をなかなか確保できないので、「桐壺」、「帚木」、「空蝉」ときて、まだ「夕顔」の巻の途中(まだ全体の20分の1くらい)ですが、折角いい本を見つけたんで、少しずつでも読んでいけたらいいなあと思っています。(松井 和弘)
2021年06月20日

アンサンブル(「ノルマ」)

前回の記事で書いた「パルムの僧院」を読んでいるときに、同時代の曲を聴きたくなって、ベッリーニの「ノルマ」をCDで聴きました。すると、やはり「ノルマ」は好くて、一度では終わらず、繰り返し聴き、さらには手持ちのDVDを観ることになりました。

「ノルマ」は、古代ローマ時代のガリア地方(現在のフランスあたり)が舞台のオペラで、ローマの支配下にあるガリア地方にローマから総督ポリオーネが派遣されているという設定です。そして、ノルマの父らを中心として、ガリア人がローマの支配を脱する戦いを起こそうとしているところから物語が始まり、ポリオーネがガリア人の巫女ノルマと秘密裡に恋仲になって子供が生まれたものの、ポリオーネが別の巫女のアダルジーザに心移りしたことによってもたらされる悲劇が描かれます。

「ノルマ」で一番有名な箇所は、1幕1場の真ん中あたりでノルマが一人で歌うアリア《清き女神よ(Casta Diva)》でしょう。ノルマが澄んだ声で歌うこのアリアは、これだけで単独で歌われることも多いですし、もちろん素晴らしい曲です。

オペラではどうしてもアリアが有名になりがちなのですが、2人以上によるアンサンブル(重唱)の魅力も捨てがたいと思います。今回、私が何度も「ノルマ」を聴きたくなったのは、1幕2場の最後あたりから2幕1場にかけてのアンサンブルに魅了されたからでした。
私がきれいだなあと思ったアンサンブルを取り上げますと、
(1)〔【1幕2場】アダルジーザとポリオーネ〕ポリオーネがアダルジーザにローマに来るように誘いアダルジーザは悩みながらもそれを受け入れる
(2)〔【2幕1場】ノルマとアダルジーザ〕アダルジーザがノルマに対し愛する人ができたから巫女の職を辞したいと打ち明けノルマはそれを許可する
(3)〔【2幕1場】ノルマ、アダルジーザとポリオーネ〕アダルジーザが愛する人がポリオーネであることが判明し、ポリオーネはノルマに許しを乞うが、ノルマは激怒する。ノルマとポリオーネの関係を知らなかったアダルジーザはポリオーネを拒絶する。
といったあたりです。(あらすじを書いていると、どうしようもない話のようにしか思えませんが、歌唱やオーケストラが本当にきれいなんです。物語的には、これに引き続く2幕2場、3場で悲劇的な結果を迎えることになります。)

もう何年も前になりますが、日生劇場で「ノルマ」を観たときに、(2)がいいなあと思って、とはいってもそうそう上演されないので、CDを買って少し聴いて止めていたんですが、今回聴いてみると、(2)だけでなく(1)(3)の良さもわかって、幸せな気持ちになりました。やはり、アリアもいいですがアンサンブルの良さも捨てがたいですよね。
そういえば、去年の6月にも大阪で「ノルマ」が上演されるはずだったんですが、新型コロナウィルスのせいで中止になってしまいました・・・。私たちが新型コロナウィルスを早期に克服できることを願ってやみません。(松井 和弘)
2021年06月08日

救出ものといえば

2021年2月24日の記事で、「フィデリオ」が救出もので・・・といったことを書いていた際に、そういえば救出されたのにまたその牢獄に自ら戻ってしまう一風変わった救出ものもあったなと、「パルムの僧院」のことを思い出しました。25年ぶりくらいに再読したのですが、やはり面白かったです。前回は岩波版を読んだので、今回は新潮版(大岡昇平訳)を読みました。

「パルムの僧院」は、スタンダールが1839年に著した小説で、だいぶ前に「赤と黒」と「パルムの僧院」を読んで以来、私にとってスタンダールが最も好きな作家であり続けています。スタンダールのどこがいいかというと、皮肉のたっぷり利いた分析を容赦ない筆致で書くところや、(どうしてそんな心の動きになるのと突っ込みたくなる点も含めて)登場人物の心理の動きが生き生きと描かれているところだと思います。

「パルムの僧院」では、投獄された主人公ファブリスは、牢獄の長官の一人娘であるクレリアと激しい恋に落ちます。ファブリスのことを好きでたまらない叔母のジーナ(サンセヴェリナ公爵夫人)や公爵夫人の恋人であるパルム公国宰相モスカ伯爵は、散々苦労してファブリスを牢獄から救出しますが、あろうことかファブリスは、クレリアへの想いに駆られて牢獄に戻ってしまうのです。牢獄の長官はサンセヴェリナ公爵夫人やモスカ伯爵と敵対する陣営に属しているので、脱獄した牢獄に戻ったら毒殺されてしまうのにです。
これを最初に読んだとき、情熱に駆られたファブリスの行動に爽快感を覚える反面、えっ、そんなことをするのと困惑したことも覚えています。
しかしまあ、ここまでするということが、ファブリスが、後も先もなく恋愛が成就することのみを熱望する情熱恋愛の虜になっていることを表しているんでしょうね。(スタンダールは、「恋愛論」も書いていて、その中で、恋愛を情熱恋愛、虚栄恋愛といった4つの恋愛に分類しており、恋愛については一家言持っている人なんです。)
もちろん、行きつ戻りつするクレリアの心の動きも余すところなく描かれており、読み応えがあります。

さらに、優秀な陰謀家といえるサンセヴェリナ公爵夫人やモスカ伯爵と大公との間の駆け引きも面白くて。特に、サンセヴェリナ公爵夫人がパルム公国から出て行くと大公に決然と言い放つ場面が痛快で、また、これに対する大公の反撃が老獪で、このあたりは何度読んでも飽きないですね。

また、ナポレオン党のスタンダールの目を通して見たあの時代(1796年のロジ橋の戦い・ミラノ入城から始まるナポレオンの隆盛期、1815年のワーテルローの戦いによるナポレオンの没落と反動的な王政復古期、1830年の7月革命により始まるオルレアン朝)を垣間見ることができることもこの本の利点に挙げていいでしょう。訳者あとがきに書いてあるように、1838年にスタンダールが当時12歳のウジェニー(将来ナポレオン三世と結婚して第二帝政期に皇后になる人です)を膝の上に乗せてナポレオン戦争について語ったこと、スタンダールがウジェニーのためにワーテルローの戦いを書こうと思い立ち、それが本書の3章と4章を構成していることといった逸話も面白いですね。

もちろん、本書には、現代の感覚では理解しがたいような部分もあるのですが、それも含めて楽しめる方であれば、お読みになることをお勧めします。「赤と黒」も面白いのでどちらを先に読むかは迷ましいですが。(松井 和弘)
2021年06月01日