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サリカ法典について

今月はゲルマン法について話をしてきましたので、ゲルマン法典の中で最も重要な法典といっても過言でないサリカ法典にも触れておきたいと思います。

さて、先日述べたタキトゥスの時代のゲルマン社会では、ゲルマン法は文章化されていませんでしたが、社会が発展していくに伴い、様々な要請から、文章化されていくことになります。
こうして、500年ころに複数のゲルマン部族法典が編纂されますが、その多くは、ローマ法の影響を強く受けたものでした。

例えば、西ゴート族の①「エウリック王の法典(codex Euriaianus)」(475年ころ成立)、②西ゴート族の「アラリックの抄典(Breviarium Alarici)」(506年成立)、③東ゴート族の「テオドリック王の告示法典(Edictum Theodorici)」(500年ころ成立)、④グルグント族の「ブルグント法典(Lex Burgundionum)」(516年以後に成立)については、それぞれ、①「内容的にもローマ法に近く」、②「この法典の内容は、実質的にローマ法そのもの」、③「内容はローマ法」、④「ローマ法の影響・・・が大きい」とされます(ミネルヴァ書房「概説西洋法制史」57頁及び58頁参照)。
つまり、これらの法典は、ゲルマン民族の慣習法を採用せず、成熟の域に達していたローマ法を採用したのです。
また、これらの法典は、ローマ人の言葉でその後長らく欧州の共通語となったラテン語で書かれていました(例外は、600年ころ成立したアングロサクソン族の「エセルビルフト王法典」で、これは西ゲルマン語に属する古代英語で書かれています(同書59頁参照)。)

その一方で、フランク王国の国王クローヴィスが編纂したサリカ法典(Lex Salica)(507年~511年に成立)は、ラテン語で書かれているものの、その内容はローマ的ではなく、ゲルマン的要素が強いものでした。サリカ法典の名前は、クローヴィスがフランク族の中のサリー支族に属していたことに由来します(私は恥ずかしながら、長年、サリカという女性の名前に由来するのかなと思っていました)。

サリカ法典が内容面でローマ法と違う点は、ローマ法は契約、相続や贈与等の私法を中心とするのに対し、サリカ法典が主として犯罪や不法行為に対して固定化された金銭賠償を定めている点です(同書66頁参照)。
2020年11月9日の記事で触れた、タキトゥスの時代からゲルマン社会にあった「贖罪金」ですね。
しかし、金銭賠償が固定化されているとすると、インフレで貨幣価値が変わった場合はどうするんだろうと思いますが・・・。中世でも、金貨や銀貨について、貴金属の含有率を減らすような貨幣改鋳を行った結果、インフレが起きてしまうことはあったと思うのですが。

以上で、サリカ法典とローマ法や他のゲルマン部族法典との比較を記載しました。
しかし、現代に生きる私たちがサリカ法の名を知ることになるのは、こうしたある意味比較法的な議論からではなく、サリカ法典のある章がこの後の歴史に大きな影響を与えた点からだと思います。そこで、この点についても記載したいのですが、長くなりましたので、別の機会に譲りたいと思います。 (松井 和弘)
2020年11月25日